東京高等裁判所 昭和30年(て)101号 決定
本件異議申立の理由の要旨は、申立人は昭和三十年二月四日麻薬取締法違反の嫌疑で逮捕され名古屋拘置所に勾留中、同月二十一日東京高等検察庁検事稲川龍雄の囑託による名古屋地方検察庁検事子原一夫の指揮により、暴力行為等処罰に関する法律違反罪による懲役二年三月の刑(懲役三年のところ昭和二十七年政令第一一八号減刑令により懲役二年三月に減軽)の執行を受け、目下浜松刑務支所で執行を受けているのであるが、申立人は暴力行為等処罰に関する法律違反で処罰されたことなく、右は申立人と双生児の兄金千福の犯罪で申立人が刑の執行を受ける理由はないから茲に異議の申立をするというに在る。
仍て関係記録及び当審における事実取調の結果を綜合して見ると、申立人が現に執行を受けている暴力行為等処罰に関する法律違反罪の刑の被告人は通称金村こと金千福であることは明らかである。申立人は人違いであることの理由として、私は七歳の時兄金千福と共に大崎という人に連れられて日本にきたが、金千福は下関に上陸の際迷子となつて行方不明になり、私は大阪の大崎というブリキ屋で十年位働き、十七歳のとき北海道に行き室蘭の輪西鉄工所で働き、昭和十七年春頃東京にきて土工をやり、次いで川崎の国元飯場で日本鋼管の工事に従事し更に神奈川県の道路工事等に従事したが、昭和二十四年頃川崎の下宿先に兄金千福夫婦が子供一人を連れて訪ねて参り「静岡で事件を起し保釈で出てきたが妻朴春子と子供の金万石を頼む」と言つて妻子を私方に置いて何処かに行つて仕舞い、それ以来行方不明である。私は朴春子及び金万石と一緒に暮しているうち朴春子と夫婦になり、同人との間に一子金万水を儲けて今日に至つているのであつて、私は暴力行為等処罰に関する法律違反で処罰されたことはなく、右は兄金千福であると主張する。そこで申立人と右暴力行為等処罰に関する法律違反被告事件の被告人金千福とは同一人であるかどうかについて按ずるに、取寄せに係る金千福外二十名に対する暴力行為等処罰に関する法律違反被告事件記録中の金千福に対する司法警察官の被疑者訊問調書によると、同人の供述として私は七歳のとき叔父さんに連れられて日本にきて大阪で八歳から十二歳までブリキ工場で働いていたが、その後昭和二十二年十一月まで土木の仕事をし、(その間三年位徴用された)それから浜松市駅前の国際マーケットに落ちつき、昭和二十三年一月から浜松市佐藤町に移り、国際マーケット内で履物商をしている旨の記載があり、証人朴春子に対する当裁判所受命判事の尋問調書によると、同人の供述として私は李哲年の妻で同人と結婚したのは私が十八歳のとき(朴春子は昭和三年生であるから昭和二十年に該る)で、李哲年はその後浜松に居た頃金村文吉と申したことがあり、また金哲年または山本一夫と申したこともある。私は李哲年との間に金万石(日本名正吉)及び金万水(日本名正夫)の二児があるが、李哲年は前に浜松の国際マーケットの近くにいた頃履物商をしていたことがあり、当時乱斗事件に関係して処罰されたことがある。私は李哲年と結婚する前同人の兄と結婚したことはない旨の記載があり、名古屋地方検察庁より取寄に係る申立人に対する刑執行指揮受託既済記録中の検察事務官玄番軍次作成の指紋対照方依頼の回答と題する書面によると、被告人金村こと金千福に対する暴力行為等処罰に関する法律違反被告事件記録中第二〇冊の四(冊数訂正後第二五冊)第三十八丁裏面に押捺されている指印(金千福名下のもの)と、名古屋地方検察庁鑑識課に保管中の山本福治こと李哲年に対する昭和三〇年名地検々第二三四五号麻薬取締法違反事件の同人の十指々紋中右手拇指々紋とは同一指紋であり、従つて指紋の科学的根拠に因り金村こと金千福と山本福治こと李哲年とは同一人と断定する旨の記載がある。以上の証拠を綜合すると本件異議申立人と右暴力行為等処罰に関する法律違反被告事件の被告人金千福とは同一人であると認められ、当裁判所における事実取調の結果に徴しても、これを覆すに足りる資料は存しないから、本件異議申立は理由がないものとして棄却すべきである。